地平線の雑録

Revoと弦一徹

Revoが手を差し伸べているのは誰か

 

前書き

再臨祭が始まる前に、たまにはRevoのことも書いておこうと思う。Revoのことになるとどうしても自己対話の色が強くなるので、今回は丁寧語抜きのフラットな喋りで失礼したい。

いつからか生まれた「Revoにふるい落とされた層」という概念は彼の中には存在しないのではないか?という可能性を紐解いてみたい。

 

私にとっての「Revo」

Revoのどこが好きかという問いへの答えはたくさんあるが、そもそもRevoとはどんな存在だろうか?
下記の画像は2018年11月27日~12月6日に行われたオリコン・モニターリサーチの設問の一部であり、私の回答である。ここまで極端な回答もどうかと思うが、当時の自分はどの項目においてもすべて良い意味で「非常にそう思う」を選んだ。

だが、この選択肢だけでは少し物足りない。Revoの一番の根幹は、「思想家」であり「先駆者」であると同時にローランの「友人」であることだと私は思う。
『運命は残酷だ』『結局人生なんてロクなもんじゃねぇ』という歌詞にこそ共感するし、『運命は残酷だが、それでも往きなさい』『人が必死に生きた物語を不幸だと勝手に決めつけるな』というメッセージに宿る熱量は凄まじい。
MCを残さないので世間一般には知られ難いが、Revoはいつも私たちに『足を動かせ!生きろ!不条理な世界に立ち向かえ!』と静かに熱く語りかけ、奮わせてくれる。

綺麗事が蔓延するこの社会で、Revoはいつも「友人」に降り注ぐ不条理を詩にしてきた。『もし地平の向こうでお前が泣いてるならいつでも《俺の音楽》を呼べ!』と、高みからではなく、「友人」として語り掛けてきた。
これこそが私がRevoを信じる一番大きな拠り所だと思う。

 

提示されている選択肢

そして彼は、全面的にと言えば語弊があるが、それでも、常にこちらに手を差し伸べている。
多少の記憶違いはあると思うが、2015年のNeinのコンサートでRevoは「君たちには選択肢を用意する」と宣言した。日替り演出映像を残してほしい!という要望に対して「10万円とかすることになるけど大丈夫?」「大丈夫!」とのやり取りを受けての話だったと思うが、とにかくRevoは「選択肢を用意するから"選んでほしい"」と言った。私はその話はまだ有効だと思っている。

「絵馬に願ひを!」はその価格設定と情報の不透明さ故に不安を呼び起こしやすいが、Prologue Editionにおいても、楽曲配信・サブスク配信・スマホアプリといった選択肢が確かにそこにあったと自分は認識している。

 

選ばなかった選択に後悔がない理由

話の解像度を上げるため、私自身のペルソナを補足する。私はRomanとMoiraの狭間でサンホラに出会い、10万円の箪笥(Blu-ray)を買わず、ハロパで疎遠になり、進跡で帰って来た人間である。

そんな私がRevo本人とローランというファンの集合体を信じる理由は、自分の選択について誰かから「あなたはファンではない」と除外されたり、責められたり、見下されたりしたことがないからだ。
加えて、10万の箪笥を買った所謂"祖母ローラン"たちが「よければお見せしますよ!」と、その特典映像を大切に伝承してきたことを私は知っている。(それを観測したのは私だけかもしれないし、歴史は改竄されてしまうので書き残しておきたいと思う。また、誰でも彼でも鑑賞会を行うことは彼女たちのリスクになるので、そういう意味合いではないことも補足しておく)。

そういうところが、Revoとローランだけでなく、ローランとローランの優しい物語が紡がれていくことが、サンホラの一つの魅力だと思う。

だから、Revoが「付いて来れる人だけ付いてきてほしい」と言ったのは、誰かを除外する意図ではなく、そういう優しい世界を前提としてのことなのだと私は信じている。

 

マイノリティを極めた作品「絵馬に願ひを!」

以下、絵馬に願ひを!Prologue Editionの発売日である2021年1月13日に公開されたインタビューから引用する。

Revo:明らかに世間的なニーズに対して逆行した作品であることは、僕も認識しているんです。音楽が配信やサブスクで需要される時代になり、自由に気軽に聴けるけど、音楽の値段が限りなくゼロに近づいていっている……つまり〈音楽の値打ち〉を意識しない時代になっていく中で、敷居の高い超ボリュームのものを高額で販売するのが、この作品におけるビジネスの構造です。また楽曲が単体で切り売りされることが当たり前の時代に、旧時代的とも言えるコンセプトアルバムの復権を謳うような作品でもあります。切り売りどころか、作品の根幹に特殊な仕掛けが絡んでいるので、BDでしか聴けないという潔さ。これを面白いと思って価値を見出してくれる人がどれだけいて、この作品を許容する社会の空気みたいなものは存在するのか。マジョリティになるとはやっぱり思えないんだけど。それでも音楽の、ひいてはエンタメの可能性・多様性という意味で、この作品が評価されないのは豊かさや面白みに欠けてしまうなと僕は思います。たとえ僕が作った作品ではなくても、『絵馬に願ひを!』のようなアプローチの作品が世の中にあるのだとしたら、僕は応援したいと思うからね。

引用元:【インタビュー】Sound Horizon、Story BD『絵馬に願ひを!』が問いかける〈生むべきか生まざるべきか〉という命題 | BARKS

上記の通り、今作はRevo自身が作品そのものや販売手法のマイノリティ性について言及しており、ローランの中でも【Blu-rayを選ばない神】が存在することは、きっと本人が一番認識するところだと思う。
だから、Revoから【Blu-rayを選ばない神】へのメッセージとしては、『サブスク配信で音楽を聴いてみて、アプリで仕掛けを体験してみて興味を持ってくれたら嬉しい。そこでBlu-rayを買う価値を見出してくれたらとても嬉しいけど、そこまで思えなかったらそれはこの作品の背負った宿命』みたいな感じだと推測する。

Blu-rayである必要性を補足するならば、サブスク配信では【選択】ができず、スマホアプリはIT技術の進化を考えると継続的な維持運用が難しいことから、Blu-rayで残すことが最適解なのだと自分は納得した。

 

私にとっての「ローラン」

ローランを名乗るハードルは大小あれど誰しも感じたことがあるかもしれない。もちろん私自身が感じていたことでもある。

では、たくさん曲を聴けばローランだろうか? 正しい考察をすることがゴールだろうか? 私たちは正解に辿り着くため、Revoの脳内を正しく再現するために活動しているのだろうか?

そう言われるとちょっと違う気がする。

サンホラがなぜ面白いのか。それは「一人では解けないから」であり、「Revoが正解を与えないから」だと私は思う。

「いい曲だったな」「正解できて良かったな」では終われないからこそサンホラは面白い。曲や情報に触れたときの「え、なに??何が起こったの???」から始まるリスナーの物語こそサンホラの醍醐味である。

そう、サンホラとは人数無制限の協力プレイを基本とした推理ゲームであり、プレイヤー自身もそれぞれの物語を紡いでいく創作エンタメなのかもしれない。例えるなら、「全員で創るパッチワーク」とでも言えばいいだろうか。
だから、曲を聴く回数や考察の深さそのものを測る必要はなくて、自分が楽しく自分の好きな絵柄を紡ぐことが一番大事で、その上で別のローランから刺激を受けて新たな糸だったり刺繍パターンを手に入れ、表現の幅が広がっていく……。そんな感覚で、私はサンホラの世界を捉えている。

「あなたの物語」に価値がある

こんなにも「あなたの視点」「あなたの物語」が大切にされるエンタメは世の中にそう多くないと思うが、特にサンホラで起こる現象は以下の実験に類する構造だと私は認識している。

1999年にハーバード大学で行われた視覚認識に関する有名な実験をご存知だろうか?
「白シャツの人がボールをパスする回数を正しく数えられるか?」という簡単な内容であり、
50秒の動画で音声も不要なので、初見の方はぜひチャレンジしてみてほしい。

 

本当は動画を見てもらえると実感が分かりやすいのだが、閲覧できないことも想定して補足する。(以下、ネタバレになるのでチャレンジしたい方はここまでで止めてほしい)

 

 

 

 

 

 

動画では白シャツの3人と黒シャツの3人がそれぞれ1つのバスケットボールをパスし合う。画面上では6人が入り乱れ、白シャツ3人のパス回数を数えるには多少の集中力を要する。

動画が終わると、答えは「15回」だったらしい。

しかし、本題はここからで、「実は先程の動画にはゴリラが登場している」という種明かしがある。

その後、動画が巻き戻され本当にゴリラがいたことを視聴者は目撃し、衝撃を受けるのだが、原著によると被験者の半数がこのゴリラに気付かないとの実験結果が出ているらしい。(自分も最初に見た時は流石に嘘だと思って動画を巻き戻した)

同じ事がサンホラでもよく起こる。単語・文字色・字体・背景・音階・楽器・登場人物・感情・台詞・再生時間・歴史・文脈......と、まだまだあると思うが、サンホラの膨大な情報の中にインビジブルゴリラ(見えないゴリラ)がたくさん隠れている。だからこそ「あなたの物語」が必要なのである。

 

それから、チームビルディングの領域ではこんなゲームも存在する。「桃太郎村の地図」は、自分だけが持っている情報を寄せ集めて全体像を掴んでいく協力ゲームで、推理の過程で他の参加者との一体感が生まれるものだ。

サンホラという未知に立ち向かうためには、やっぱり「あなたの物語」が必要なのである。

 

一人のローランとしての【願い】

大事なことは、インビジブルゴリラも桃太郎村の地図も、チームに貢献する意欲と、他者の視点を大切にする度量がなければただの視覚実験であり、ただのゲーム機構になってしまうということ。だから、私がサンホラを面白いと思うのは、やっぱりそこにRevoやローランの強い気持ちが在るからなのだと思う。
そう思うようになったのは本当にここ数年の話だが、Around 15周年なだけあってRevoやローランが積み重ねてきたものがコップから溢れてきた感触がある。

 

そして今、目の前にある「絵馬に願ひを!」は紛れもないマイノリティ作品であり、この作品が世の中に受け入れられるためには多くの難関が待ち構えている。
そう考えると、むしろ【Blu-rayを買わなかった神】の視点はマイノリティ作品が世の中に広まるための一つの鍵になるのではないか?と思えてくる。

同様に、旧作を知らなくても、行けないコンサートがあっても、誰かに発信をしなくても、「あなたの物語」は紡がれていく。
選んだ媒体や楽しみ方にかかわらず、たくさんのローランが自分が選んだ道だからこそ見える景色を優しい糸で紡いでくれることを、一人のローランとして密かに願っている。

 

後書き

この記事を書こうと思ったのは「絵馬に願ひを!」の体験版動画が公開され、"Revoの本気"を体感したからに他ならない。

おそらく読む人によっては自己陶酔の偽善的な文章に思えるかもしれない。だから普段は胸の内に隠して自分を守っているのだが、体験版を聴いていたら自分も暗闇に星を灯したくなった。なので、真面目な記事というよりは二次創作に近い気もしている。

「私の物語」が肌に合わない方もいると思うのでそこは申し訳ないと思うが、悩めるローランの心が少しでも軽くなることがあればこんなに嬉しいことはない。

 

参考URL(再掲含む)